語学について

・何故語学学習などやるのかと問えば様々な返答が予想されるが、ノンネイティブが日本に留まる場合においては、結局は「日本語で読めぬものがあるから」というのがほとんどであろう。ここで重要なのは、聖書学をやっている者などは例外として、「原文を読めないと安心して古典が読めないではないか」などと言わぬことだ。私なら端的に、「翻訳を待つコストがあまりにも大きいから」「世の中重要な文献の多くは翻訳されないから」と答える。訓詁学者でもない限り無用な原語至上主義に陥らず、そこらへんはプラグマティックに考えるべきだ。
・そのような前提において、「何を学ぶか」という疑問に対して答えは明らかである。英語一点突破が明らかに効率がよい。それも、巷間言われるような意見とは逆行するが、圧倒的な読解力をまずは身につけるべきだと私は考えている。
・第二、第三外国語の学習においては、「フランスに留学する予定がある」などといった急を要する問題がない場合以外は、所詮は趣味であってよいのではなかろうか。比較言語学的観点で英語や日本語を相対化する必要がある人文系の方々は無論例外である。また日本・欧米以外の視点からニュースを分析できる水準に達した者のみ、中国語、アラビア語、ロシア語あたりは有用であると思う。あとは、アカデミックなレベルでたとえば「理論刑法学を究めたい」」のように具体的な目標があるのであれば、ドイツ語をやってもよい(それも英語で済むことがほとんどになりつつあるが、ニッチな分野だとそうはいかぬものもあるのだ)。他に、アメリカに移住しそこに同化する覚悟があるならば西語や伊語をやるメリットもあるが、それは冒頭の前提と合わないので省略する。
・上で、読解を重視すると説いた。具体的には、欧米の高級紙をロクに辞書も引かずに朝飯ついでに悠々と読める次元を想定している。高級紙は語彙レベルも高く修辞も難解(特に英国紙)であるが、それくらいできないと英語を日本の知識人が学ぶ意味は薄い。「お高い英語」は地理に依るものではなく、知識階級を規定するラテン語のような装置と化しつつある。疑うならばまずはwikipediaでも読み比べてみればよい。